NHKは「公共放送」を自称し、広告に左右されない中立な報道機関であると説明してきた。しかし現実には、国民の意思をほとんど反映しないまま受信料を徴収し続け、内容に不満を持つ視聴者の声を無視しているように見える場面が増えている。
なぜNHKはここまで国民との乖離を生んでしまったのか。それは記者の質や番組内容以前に、受信料を強制徴収する制度そのものが、国民を軽視する構造を生み出しているからではないだろうか。本稿では、NHKの「国民を搾取するシステム」を制度と構造の観点から整理する。
公共放送に必要な三つの条件
本来「公共放送」と呼ばれるためには、少なくとも次の三つの条件が必要だ。
- 国民の合意に基づく負担
- 国民への十分な説明責任
- 国民の不満や評価が経営に反映される仕組み
このどれか一つでも欠ければ、「公共」の名に値するとは言い難い。だがNHKは、残念ながらこの三条件をいずれも満たしていない。
受信料はサービス対価ではなく準租税である
NHK受信料は、番組を実際に視聴しているかどうかに関係なく請求される。内容に不満があっても、NHKを見ていなくても、支払い義務が発生する。
この時点で受信料は、視聴サービスの対価ではなく、準租税的な強制徴収に近い性質を持つ。
市場経済では、不満があれば解約や不買という形で意思表示が可能だ。しかしNHKの場合、その出口は制度的に極めて狭い。これは「選択可能な公共サービス」ではなく、一方的に課される負担である。
強制徴収は組織を必ず腐らせる
受信料が強制である以上、NHKは国民の不満を恐れる必要がない。
- 見なくても収入は入る
- 視聴率が下がっても経営は揺るがない
- 批判されても直接的な痛みがない
この構造では、視聴者は「顧客」ではなく「徴収対象」として扱われるようになる。その結果、説明責任は形式化し、批判はノイズとして処理される。
これは倫理やモラルの問題ではない。インセンティブ設計の問題である。どれほど立派な理念を掲げても、制度が無責任を許せば、組織は必ずその方向へ流れる。
NHKは国民をスポンサーだと考えていない
民放テレビ局は、広告主の不利益になる報道ができないという制約を抱えている。一方でNHKは広告主が存在しない。
本来であれば、受信料を支払う国民こそが唯一のスポンサーであり、最も尊重されるべき存在のはずだ。しかし現実のNHKは、国民をスポンサーとして扱っていない。
実際の行動原理は、
- 国民より制度を優先する
- 視聴者より組織維持を優先する
- 批判より前例踏襲を重視する
という、官僚組織に近いものだ。
ネット時代に露呈した「公共性」の虚構
インターネットの普及により、NHKの報道姿勢や説明不足は即座に検証されるようになった。それにもかかわらずNHKは、「ネットはデマが多い」という言説を繰り返す。
しかし国民の目には、こう映っているのではないか。
検証されて困る側が、検証する側を危険視しているだけではないか。
信頼は「公共」を名乗ることで得られるものではない。検証に耐え、説明責任を果たすことでしか得られない。
なぜNHKは自浄できないのか
NHKが自ら変われない理由は明確だ。
- 制度を見直せば過去の正当性が崩れる
- 強制徴収を緩めれば組織規模を維持できない
- 国民評価を反映させれば経営が不安定になる
つまり自浄とは、NHKにとって自己否定を意味する。その選択肢を取れる組織ではない。
結論:NHKは公共放送ではなく、制度に守られた搾取構造である
NHKが国民を無視するのは、悪意や思想の問題ではない。強制徴収という制度が、国民を無視できる組織を作り上げた結果である。
公共放送とは、本来「選ばれ続ける努力」を求められる存在だ。選ばれなくても存続できる放送局は、もはや公共ではない。
NHK新会長人事が示すもの
さらに付け加えるなら、NHKの体質が今後変わる可能性は低いと言わざるを得ない。
NHKは新会長に内部出身の井上樹彦氏が就任し、1月25日より新体制が発足する。これは改革の兆しというより、NHKイズムの正統な継承者がトップに立ったと見るのが自然だろう。
内部出身者が会長に就くということは、これまでの組織文化、意思決定プロセス、そして国民より制度を優先する体質が引き継がれることを意味する。外部の視点で構造を問い直すのではなく、「古きNHK」を正当化し、復興させる方向に動き出す可能性が高い。
強制徴収という仕組みを前提にNHKイズムを継承する体制が完成した今、国民との距離はさらに広がるだろう。 このままではNHKは「公共放送」ではなく、制度に守られた自己保存型組織として存在し続けるだけである。